
『佇む』—それは環境にとけ込むということ。
優れた『もの』とは主張し過ぎず、風景の一部としてそこに佇んでいることなのだと思います。
『美術』って何でしょうか?
アーティスト側から見れば、新たな美を追求することでしょう。
鑑賞者側から見れば、生活をより豊かにし、こころにゆとりを与えてくれるものでしょう。
『もの』とは、全て日々の生活の中で、その経験によって創り出されていきます。
それらは建築の手足として、ときにその一部として機能し、そこに存在しています。
『用』があって、その『美』を追求していく。
『美』に特化し、それのみを追求することもまた、新たな『美』のかたちなのでしょう。
自己の内面に問いかけ、新たな『美』を創出していく「哲学的な側面を持った飽くなき美の追求」それが『美術』なのだろうと思います。
しかし、わたしは道具や家具における『デザイン』—ここにこそ『美』の本質がある気がしてなりません。
古代から江戸時代までの『美』は、道具や家具のかたちで実生活のなかに存在していました。
それは個人の主張ではなく、作品としてでもなく、風土や様式を培って完成された『もの』として、そこに在ったのです。
たとえば漆器などの優れた意匠がもつ天衣無縫(技巧をこらした跡がなく、自然であるさま)の完璧さ。
人間の手仕事であることを超越して、既にそこに在り続けたといわんばかりの存在感。
これは近現代のアートにみる主観性の強さによる存在感とは全く異質のものです。
工芸品のある種、冷たく無機質な風合いこそ、『もの』としての『美』ではないかとわたしは思うのです。
『もの』の価値とは、常に実生活の経験から生じます。
そして、本来『もの』の見方とは生活の一部として見ることです。
日本の美意識である『奥床しさ』(上品でつつしみ深い様子)、『侘・わび』(質素で静かな様子)、『寂・さび』(時間の経過による劣化の様子)。
千数百年という歴史のなかで培われ、江戸時代で花開いたこの美意識の中に、『ものづくり』のひとつの答えを見出せるのではないでしょうか。
わたしの考えは大げさで固い懐古主義な考え方と捉えられるかも知れません。
しかし、枠のない領域横断的で無国籍な現在の状況だからこそ、古いものに文化を見いだすのではなく、新しいものにこそ、文化を昇華させた『伝統』を見せるべきだと、わたしは思うのです。
2008年10月
Photo by Syoh Yoshida
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