| 気がつけば、季節が変わっていたことを知るときのように | 文: 酒井千穂/美術ライター




大学で表現を学ぶ学生たちと接していると、ときどきふと、迷子になった子どもと出会ったときのような、切ない気持ちに襲われることがある。
絵画やデザイン、工芸などの枠組みのみならず、さまざまな手法をともない、ジャンルの垣根を超えた展開をみせる現在のアートという表現領域のなかで、彼らはしばしば、制作に向かうことに二の足を踏んでいるように見えることがあるからだ。
自らの思考するものを自由に表現する、という作り手の大きな課題は、デッサンや彫塑など、技法や素材についての条件があって制作に取り組むことよりもはるかに難しい。それは当然のことだが、これほどまでに多様な作例や、表現手段とする素材、技術などの情報があふれ、どこまでも選択の可能性があるかのように見える表現をとりまく環境にあって、学内ではむしろ、その自由を前に途方に暮れてしまっているような面持ちと出会う。

学生だけでなく、ただでさえ私たちはマスメディアを通したさまざまな情報の海のなかで日常生活を送っているのだから、その実感を欠いた現実では、若い人たちの表現への求心力が稀薄になっていくのも当然かもしれないと気の毒に思うことすらある。自分がどこに向かって進むのか、そしてなにをすべきか、自らの志向を定めるのに時間がかかる上に、受け皿から溢れ続けるような、さらなる表現手段の自由に右往左往する。大海の波間の上を小舟がただ漂うように困惑しながら過ごしている、そんな若い人たちの姿をしばしば目にする中で、吉田翔はひときわ逸脱している存在だと思う。彼にはそういった迷いはうかがえない。





私は彼の姿を学内で見かけたことがあっただろうか。現在の、彼の制作室を訪ねるまで、私は彼が毎日、一日の大半をその制作室で過ごしているということも、若いながら、とても落ち着いた態度と物腰の人物であるということも知らなかったのだが、そういった生真面目な佇まいは、彼が表現への求心力を失うことなく制作に向き合っていることを裏打ちしているように思えた。
はじめて吉田の制作現場を訪ねたとき、画材や筆などが整頓されて並べられた彼の机の上には、日本画の画集も積み重ねてあった。彼は、小学生の頃に見たという上村松園と伊藤小坡の展覧会の図録を開きながら、描かれた女性たちが何しろ美しく、肌や髪の、つやのある質感やその透明感に見とれたと、当時会場でそれらの作品を目にしたときの鮮明な感動を語ってくれた。それは彼の表現活動の大きなきっかけになった出来事であるという。
実際に見た絵画それ自体を、リアルに描きとろうとした幼い頃の模写の楽しさと、透明なものが透明に表されているという、彼が当時、心を揺さぶられた感情体験に大きくもとづいた制作。彼が描くものは、自らが見た風景の一瞬である。

黒と白という二色のみが用いられるその作品には、遠くの家々に明かりが灯る夕闇の風景や、透明な水滴が今にもこぼれ落ちそうな瞬間が描かれる。水や、大気の流れやその空気のなかに漂う微粒子といった、目に見えないものを感知する瞬間をそのままに絵画に写し取り、その一瞬の美しさを見せようとするのだ。
作品に用いられる松煙墨という画材のつや消しのマットな墨の色は、陰影や奥行きを示さないどこまでも平坦な黒でありながら、薄く塗られた色層では青みを帯びた透明感を放っていることが確認できる。作品の前に立ったとき、見る角度や距離によって、濁りのない暗闇に一気に白いモチーフが浮かび上がってくるように見える瞬間があるのは、彼の作品の最大の魅力でもあるが、それは日本画の技法に使われるそれら素材の特性にも起因しているのだろう。





それにしても、彼の作品を見ていて、「全体を見るということは、目を閉ざすことでもある。全てを見ることは、全てを見ないことと同じなのだ。」という、ずいぶん前に聞いた恩師の言葉がふと頭に浮かんできたのはなぜだったのだろう。
我々の目は常に、見ているものを図と地に分けようとする。意識の焦点となったかたちが、他を背景へと押しやっていく。だから、図として意識するもの以外はおぼろげに霞むものだ。
しかし、それなのに、彼の描く、無の世界ともいえるただ墨一色で表される闇も当然そうであるかというと、そうではないのだ。
確かに、カメラのファインダーをのぞいてピントを合わせるときのように、近付いたり離れてみたり、角度や距離を変えることによって、描かれた花や、光の表情は豊かに変容していく。しかし、彼が、輝くような胡粉の白で描くイメージの形象は、背景へと追いやったはずの平坦な闇にも、むしろ、そのかたちを包んでいくような、奥深くへと続く空間的な表情を与えている。そこでは、空間的な奥行きを感じさせるというよりも、闇の世界に突如情緒をたたえだして、流れる無限の時間をうかがわせる、という方がしっくりくる。空気中の透明な微粒子を感知する時のような、いわば、湿度を感じさせるのだ。

吉田がその作品制作において一貫して問題としているのは、「日本画」である。西洋画(=油画)に対立する認識として、という技法や画材の面のみならず、様式や、文明、それに時代ごとの歴史という時間的な観点が複雑に絡み合い、ひとことでそれを定義することも、言い表すこともできない「日本画」という言葉を彼は常に意識している。日本画とはなにか。それは、彼の活動の根底にあるものだが、彼は同時代の「日本画」と称される個人作品の多くを日本画としては認めてはいない。彼は、それらをかつて長谷川派や狩野派といった流派などによって歴史上に培われてきた絵画とは、全く異なるものとしてとらえている。日本という文化の土壌で古来の伝統を引き継ぎ、師弟関係のなかで各々の役割や技術を修得したその上で、個人が創造性を発揮し、表現を昇華させたその経過自体が「日本画」と呼べるという、確固たる定義を吉田は持っているのだ。そのような日本画の歴史への憧憬も抱いているが、ゆえに彼は、その表現で用いる画材や手法という点から、自らの作品が「日本画」というジャンルに分類されることも拒絶する。同時代の表現者たちに対する批評精神と、日本画を問うその態度は真摯であり、誠実な態度は凛としていて頼もしい。





では、彼はこの現在の状況で、自らの作品をどのように思っているのだろうか。
「普段使っている椅子やテーブルのように、誰かのひとつの生活空間のなかで、なくてはならない存在のような、そこに在ることが当然のような、空間やその場の空気と一体化するような作品をつくりたい。」初めて制作現場を訪ねたときに、ともすれば聞き流してしまいそうなほどさらりと言った実になにげないそのひとことは、けれども、その深奥へと続いている吉田の制作に対する思いや、重きを置いている価値観が、そのままに顕れていた気がする。

「気のおけない」とは、その存在を意識しないということだ。私たちは、身の回りにあるものの存在をいちいち措定してはいない。これは何の目的のためにあり、このように機能すると、ものの存在の意味の全てを意識しながらでは生活できない。ゆえにデザインの領域では、それが意識されずに生活の場におさまって機能するという点は非常に重要な課題でもある。日常において、なくてはならない道具や技術は、人の手に触れるとき、意識されずに機能しなければならない。しかし、人間のいわば能動的な行為によって乗り越えられるそれらとは異なり絵画作品とは、人肌から離れ、距離をもって鑑賞されるものである。画面に残る作家の自由な想像力とその美しさが静観的に享受されるものなのだ。
彼のその態度が表現に顕現していると感じたのは、現実の光や湿度といった、今、まさに体感している現象に合一していくような、緩やかに流れる空気の「気のおけない」要素を潜ませているからだ。あるときに、はっと季節が変わったことを知る時のような、すれすれのさりげなさである。それは、これから磨きをかけていく部分でもあるだろうが、密やかでありながら、時間的な果敢なさと、空間的な儚さという、大変魅力的な性質をはらんだ作品の今後の展開に、個人的に大きな期待を寄せている。


2007年5月

酒井千穂 _ Sakai Chiho
フリーランス美術ライター。原久子、白坂ゆり、斉藤博美らと アート情報サイト「アート遊覧」を運営。 「美術手帖」、「ART iT」などの美術系雑誌への執筆多数。大阪成蹊大学芸術学部非常勤講師。

Photo by Syoh Yoshida





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